好みを抑えることで見えてきたもの ― クライアントワークが教えてくれた「創造の本質」
自分の「好み」を優先していた頃
デザインを学び始めた頃は、「自分らしさが反映されたデザインを作りたい」という気持ちが強くありました。色やフォントの組み合わせ、構図のバランス──すべてにおいて“自分の好み”が反映されるように意識していたと思います。けれど、実際の業務に携わるようになると、その感覚は少しずつ変わっていきました。
自分が「かっこいい」と思う配色が、クライアントの業界では違和感を与えてしまうことがあります。自分の理想と、相手が求めるもの。そのギャップに気づいたとき、“好みを抑える”という行為の本当の意味が少し理解できた気がしています。
主張を抑えることは「妥協」ではない
クライアントワークの中で、「好みを抑える」と聞くと、まるで自分を殺しているように感じることがあります。でも実際は、そうではないです。
要望をただ受け入れることが“従属”なら、目的に沿った形に再構築することは“対話”です。クライアントが言葉にできていない意図をくみ取り、最適な形に翻訳する──それこそが制作者の本領だと感じます。
つまり、主張を抑えるというのは、何も提案しないという意味ではなく、「目的に立ち返る」ということ。デザインは“自分の作品”ではなく、“成果を出すための手段”なのだと気づいてから、考え方が大きく変わりました。
好みを抑えるからこそ発揮できる創造性
好みを抑えるようになると、不思議と「創造性の幅」が広がりました。以前はビジュアルで主張することが多かったのですが、今は“静かな工夫”の中に面白さを感じるようになっています。
たとえば、余白の取り方ひとつで印象が変わります。導線設計を見直すだけで、ユーザーの体験がスムーズになります。情報整理を丁寧に行えば、伝わるスピードが上がります。派手さはなくても、そこに確かな効果がある。そんな構造的な美しさを追求することが、今の自分にとっての“創造”になっています。
「見た目を整えること」よりも、「意図を伝える構造を整えること」に面白さを感じるようになったのは、この意識の変化がきっかけかもしれません。主張を減らすほど、デザインそのものの機能性や効果の精度が上がる──そんな感覚を得るようになりました。
クライアントワークにおける“自己表現”の居場所
では、クライアントワークの中で「自己表現」はどこにあるのか。そう考えたとき、私が思う答えは「判断軸」や「課題の見方」にあります。
クライアントによって、テイストは同じでも目的や要望は違います。よく企業の面接担当者に「得意なデザインはありますか?」と聞かれますが、私はいつも「得意なデザインはありません」と答えています。数をこなして慣れることはあっても、“得意”になることはないと思うからです。
自己表現とは、個性的なデザインを押し出すことではなく、「この目的に対して、どう考えるか」という姿勢そのものです。たとえば、クライアントの要望をただ形にするのではなく、「なぜその表現が必要なのか」「ほかにより良い方法はないか」と考え抜くこと。それが、私らしい視点の表れだと思います。
美学を押しつけるのではなく、“目的に沿った美”を見出すこと。それが、クライアントワークにおける本当の自己表現なのかも、と考えるようになりました。
主張を抑えると、デザインが自由になる
好みを抑えることは、思考を縛ることではなく、むしろ自由になるための一歩だと感じています。自分の感覚に縛られず、目的や相手の価値観をベースに考えることで、より柔軟な発想ができるようになるからです。
クライアントと目的を共有し、成果を出すために最適な形を模索する。その過程には、制作者としての成熟が詰まっていると思います。派手な主張ではなく、静かな意図。デザインを“引く力”で整えていく中に、本当の創造が宿るのかもしれません。