アートとデザインのあいだ ― クライアントワークが教えてくれた“表現”の境界線
かつての私は、デザインを“表現”だと思っていた
デザインの仕事を始めたばかりの頃は、「自分らしいデザイン」「自分の好み」を大切にしていました。センスを褒められたときの嬉しさがモチベーションで、作品には常に“自分らしさ”を込めていたと思います。けれど、クライアントワークに携わるようになると、その考えが少しずつ変わっていきました。
現場では、「かっこいいか」や「好きか」よりも、「伝わるか」「成果につながるか」が重視されます。どんなに洗練されたデザインでも、目的を果たせなければ意味がない。その現実を前にして、“アートとデザインの違い”を改めて考えるようになりました。
アートとデザインの違いは、“目的の有無”だけでは語りきれない
「アートは自己表現、デザインは課題解決」とよく言われます。確かにこの定義は分かりやすいですが、実際の現場ではもっと複雑です。アートにも「伝えたい意図」があり、デザインにも、「感情や哲学」が宿っていると私は考えています。
たとえば、社会問題をテーマにしたアート作品は、見る人に考えや行動を促すという明確な“目的”を持っています。一方で、商業デザインの中にも、「この企業らしさをどう表すか」「ブランドの誠実さをどう伝えるか」といった“感情的な意図”があります。
つまり、アートとデザインは「表現と目的」で完全に切り分けられるものではなく、むしろ重なり合う領域が多いと感じます。クライアントワークでは常に、この“表現”と“目的”のバランスを取りながら進めることが求められるのではないでしょうか。
デザインは「誰かのための翻訳」
私が考えるデザインとは、クライアントの想いをユーザーに伝わる形に変換する“翻訳”のような行為です。クライアントの言葉をそのまま載せても伝わらないことがあります。だからこそ、見た人が理解しやすく、共感しやすい形に「翻訳」していく必要があると考えています。
たとえば、「安心感を伝えたい」という要望があったとしても、その表現方法は無限にあります。淡いトーンで落ち着いた印象にするのか、ゆとりのあるレイアウトで呼吸を感じさせるのか、あるいは写真の構図で信頼感を演出するのか。そこには制作者の判断や美学が強く反映されます。
デザインの価値は、“自分らしさ”を押し出すことではなく、“誰かに伝わる形”に変換すること。その中で、自分なりの解釈や審美眼をどう活かすかが問われているのだと思います。
好みを抑えることは、デザインの本質に近づくこと
クライアントワークを重ねる中で学んだのは、「好みを抑えること」は「妥協すること」ではないということでした。むしろ、自分の主張を抑えることで、デザインの本質に近づけるのではないでしょうか。
色使いやフォント選びで“個性”を出そうとするほど、全体の目的やユーザー体験が後回しになってしまうことがあります。しかし、「主張を削ぐ」ことは「意図を研ぐ」ことでもあります。無駄を削ぎ落とす中で、情報構造や導線設計の中にこそ、美しさを見出せるようになるのです。
制約の中でどう創造するか――。一見窮屈に思えるかもしれませんが、実はここにデザイナーの力量が現れると思っています。クライアントの要望、ブランドのトーン、ユーザーの期待。そのすべてを満たす形を探る過程に、デザインの面白さと難しさがあると感じています。
結論:アートを内包したデザインを目指して
アートとデザインは対立するものではなく、むしろ補い合う関係なのでは、と考えることが増えました。アートが感性を広げ、デザインが現実に落とし込む。その両方があってこそ、心を動かす“機能する美”が生まれるのではないでしょうか。
好みを抑えることは、感性を殺すことではありません。自分の感性を「誰かのため」に使う。その姿勢が、制作者の創造性を示すのだと思います。
デザインは、アートを否定するものではなく、現実の中で活かす技術。私はこれからも、アートの心を内包したデザインを目指していきたいと思っています。