気づかれなければ、ないのと同じ──発見されるUIをつくるUX設計
どれだけ丁寧に設計した導線であっても、ユーザーがその存在に気づかなければ意味がない。
それが、発見可能性(Discoverability) の問題だ。
「ここにCTA(Call to Action)を置いた」「ちゃんとリンクを設置した」「説明も書いてある」──そう言いたくなる気持ちはわかる。しかし、それがユーザーの視界に入っていない・意識されていないのであれば、存在しないのとほぼ同義だ。
UXとは体験であり、体験は「知覚」されて初めて成立する。
つまり、“気づかれないUI”は、設計ミスの一種である。
目次
発見されないUIは「存在しない」と同じ
ユーザーは、設計者が期待するほど画面をじっくり見ていない。
むしろ“ざっくり”と情報をスキャンし、「自分が必要とする情報だけを拾いに来ている」と言ったほうが実態に近い。
そのため、ボタンやリンクが物理的に配置されていても、ユーザーの「視界に入り、かつ意味が取れる」場所・デザインでなければ、存在しないも同然だ。
“見える場所に置いたつもり”と“見える場所にある”は、まったくの別物だという前提に立つ必要がある。
なぜユーザーは気づかないのか
情報過多による視覚的ノイズ
1画面内に情報や要素が詰め込まれすぎていると、ユーザーの視線は分散し、目的のものに気づきにくくなる。
特にLPやサービス紹介ページなどで、バナー・ボタン・画像・テキストが競合している場合、発見率は著しく下がる。
“伝えたいこと”をすべて載せる設計が、結果的に“何も伝わらないUI”を生んでしまう。
期待とのズレが気づきを妨げる
ユーザーは、ある程度「ここにこういうものがあるはず」という期待を持って画面を操作している。
例えば「画面右上にログインボタンがある」とか、「商品ページの下部に購入ボタンがある」など、Webの慣習に基づいた期待だ。
この期待と実際のUI配置がズレていると、目に入っていても“気づかない”ことがある。
デバイス・文脈による認知の変化
PCとスマホでは、UIの見え方が大きく異なる。モーダルやアコーディオン、ホバーエフェクトなど、PCでの発見性が前提のUIは、スマホでは認識されにくい。
また、「移動中に片手で見ている」「急いで操作している」など、利用シーンによって認知精度は変わる。文脈に応じた発見性のチューニングが必要だ。
「発見可能性」を高める設計のヒント
配置・視線誘導・視覚的ヒエラルキー
- CTAをファーストビューに置く
- コンテンツにリズム(間・かたまり)をつける
- 重要な要素は色・余白・大きさで“浮かせる”
これらの基本を抑えるだけでも発見率は格段に上がる。とくに視線誘導の導線(視線が自然に流れる方向にボタンを置くなど)は、プロのデザイナーが意識して使っているテクニックだ。
一貫性のあるパターン設計
ボタンの見た目・配置・文言のトーンなど、一貫性があることは、UIを“信頼できるもの”として認識してもらうために重要だ。
バラバラなボタンの見た目、毎回違う言葉づかい──こうしたバリエーションは、情報としての“気づかせ力”を弱めてしまう。
状況を伝えるマイクロインタラクション
- ホバー時の色変化
- ボタンタップ後のアニメーション
- アコーディオン展開時の微細な動き
こうした「操作に対するリアクション」は、“ここは動かせる・触れる”という発見のトリガーになる。
静的なUIより、ちょっと動くUIのほうが「気づかれやすい」という事実は、観察すれば明らかだ。
気づかせることは「押しつける」ことではない
誤解してはならないのは、発見可能性を高めることは目立たせればいいという話ではないということだ。
過剰なポップアップ、動きの激しいアニメーション、色彩の暴力──
これらは「気づかれる」かもしれないが、「不快な体験」を生むリスクも同時に孕んでいる。
UXにおける発見とは、「そっと背中を押す」ような設計が理想だ。
ユーザーが自分の意思で気づき、自然に行動できることが、もっとも信頼されるUI体験になる。
最後に:発見されるUIこそがUXの入り口
ユーザーは見ているようで、見ていない。
その事実を直視することから、UX設計は始まる。
“気づいてもらえなかった”UIは、どれだけ優れていても、存在しないのと同じ。
発見されて、はじめて使われる。使われて、はじめて体験になる。
発見可能性は、UX設計の「前提」であり「入り口」だ。
見えないUXと向き合うために、まずは“見えるUI”をつくるところから始めよう。